花咲く乙女たちT 油彩・キャンバス 910×1168mm 1965
花咲く乙女たちT 油彩・キャンバス 910×1168mm 1965
 
流行の波の上でサーフィンをやりながら、“造形”だの“空間”だのと口走っている当世風の画家諸君には、私は何の興味も関心もない。ネオンやアクリルは、商業資本の丁稚小僧にまかせておけばよろしい。高貴なる種族の関知するところではなかろう。
私が興味をいだくのは、おのれの城に閉じこもり、小さな壁の孔から、自分だけの光り輝やく現実を眺めている、徹底的に反時代的な画家だけである。
金子國義氏が眺めているのは、遠い記憶のなかにじっと静止したまま浮かんでいる、幼年時代の失われた王国である。あのプルーストやカフカが追いかけた幻影と同じ、エディプス的な禁断の快感原則の幻影が、彼の稚拙(幸いなるかな!)タブロオに定着されている。正面に視線を固定させたまま、生への期待と怖れから、身体を固く硬ばらせている少年と少女は、ふしぎなシンメトリックな風景のなかで、つねに子宮を夢見ているナルシストの、親近相姦的共生の最も素朴なイメージである。
前衛亡者の騒々しいスキャンダリズムに不感症になった人は、この歴史とともに古い、俗悪なほど純粋な、痴呆的なほど甘美な、“花咲く乙女たち”の桃色のスキャンダリズムに腹を立てるがよい。
少年時代への夢想と遊戯のための画室――私の実際の画室でもあり、心の裡の画室でもある。
部屋の片隅のイーゼルに掛けたキャンバスが私を非現実的なお伽話の世界(天幕の中で繰りひろげられる偽装殺人の小さな偽装被害、怪人マブーゼに電気光線や薬品で殺害される美少女、アラビアン・ナイト風の白いタァバンをして細長い指をひらひらさせた妖術使いに魔術をかけられる少年、ジル・ド・レエに誘拐された少年たち)へ私を導いてくれるのである。私はそれらの少年少女たちをキャンバスの上に定着しようと試みる。と、キャンバスの中で彼らは突然に貴婦人(コクトーの悲劇「双頭の鷲」の美貌の皇妃エリザベート、斬首刑に処せられた毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人)や、高級娼婦(ジョルジュ・バタイユによってこの世に生み出された聖娼婦マダム・エドワルダや、催眠術師に操られたハインリッヒ・E夫人)や、マルキ・ド・サドの悪徳の女たち(ジュリエットやクレアウィル)や、外国映画雑誌やモード雑誌に登場するとびきりの女たち(男装のマレーネ・ディトリッヒ、巴里のリド座で踊るコレット・マルシャン、女装のコシネルやキャプシーヌ)や、スペインの扇に色濃く人工着色された写真の舞姫等に変身するのである。
フローベールが「マダム・ボヴァリーは私だ」と言った意味で、キャンバスのヒロインたちのひとりひとりも私なのであり、私は彼女たちを描く時、幼年時代の夢想とその変形である女たちの夢想との二重の夢想を生きるのだ。
花咲く乙女たち7 油彩・キャンバス 530×455mm 1967
花咲く乙女たち7
油彩・キャンバス 530×455mm 1967